ら抜きの翻意

 9月21日に文化庁から「平成27年度国語に関する世論調査」の結果が発表されました。仕事がら毎年この結果を興味深く見ています。(一応、国語科教員なもので…。)

 今年はとくに「ら抜き言葉」に関する調査結果があり、「見られた」と正しく答えた人が全体で44.6%、「見れた」を用いる人は48.4%と初めて正答を上回ったとのこと。さらに、1619歳の10代に限ると76.2%、20代では70.7%となり、若者の大多数は「ら抜き言葉」を使っていることになります。一方、「毎日使用している日本語を大切にしているか」という問いには、「大切にしている」が34.9%、「余り意識したことはないが、考えてみれば大切にしている」が43.6%で、「大切にしている」の合計は78.5%となり、過去の調査と比較してみると増加傾向にあるそうですが、「ら抜き言葉」の使用増加を考えると、何とも皮肉な感じがしますね。

 以前、『ら抜きの殺意』(作・永井愛)という舞台を観劇しました。「ら抜き言葉」に限らずに、いろいろな言葉の問題をコメディタッチに描いた素晴らしい作品で、言葉について考えさせられたものでした。もう20年近く前の戯曲ですが、今でも十分に問題提起できる作品で、こういう言葉の問題は常に「古くて新しい」問題だといえるでしょう。永井愛さんは、「ら抜き言葉」が気になるというお立場のようですが、筆者個人の意見としては、以前は文法的に正しい言葉を使うべきだと考えていましたが、今は時代とともに言葉が変化するのは致し方ないのかなと思っています。(国語教員ではありますが…。いやむしろ国語教員だからというべきか…。)

 ところで、筆者は高校演劇の脚本を“たまに”書きます。脚本執筆にあたっては正しい言葉づかいをしようと心がけているのですが、生徒の評判は芳しくありません。曰く、「先生の脚本は漢字が多いから。」とのこと。例えば「ねぎらう」という言葉をあえて「労う」と書きます。昨今の言葉の乱れ、というよりもきちんとした言葉を知ってもらいたい、せめて脚本を通して語彙(ボキャブラリー)を増やしてもらいたいという(生徒たちからすればおせっかいな)思いから、あえて漢字を多く使って書いているのですが、それが「読めない」というのです。そこで私は「辞書をひきなさい。」と言いますが極めて不評です。(そりゃそうだ。)

また、なるべく口語表現(いわゆる「ら抜き言葉」やくだけた表現、会話調)を用いずに書いています。これも正しい言葉づかいを知ってほしいからです。しかし、その一方で「台本の言葉なんてある意味記号みたいなものなんだから、自分たちで言いやすいように言葉をかえちゃっていいんだよ。」とうそぶく顧問。あれほどこだわって書いたものなのに、いざ立ち稽古で口語表現となったセリフを聞いても何とも思いません。むしろ脚本通りにセリフを言われると違和感を覚えます。やはり演劇って口述による芸術なんですね。

 ならば、最初から口語表現で脚本を書けばいいんです。後からセリフが会話調になるんだったら、最初のから会話調で書けば生徒から文句はこないでしょ。このブログ記事だって口語表現を使っているし、くだけた表現の方が読む方だって読みやすいじゃないですか。…けれども、今度は「パソコン(word)」には不評でした。口語表現を使うと青い波線が引かれ、パソコンから「くだけた表現ですよ。」とわざわざご指摘を頂きます。筆者の悩みは続く…。(O)