県コンクールを終えて

 福島県大会が終わりました。最優秀賞はいわき総合高校の「ありのまままーち」、優秀賞第一席は勿来高校の「トモダチ」でした。この2校を12月15日から山形県で開催される東北大会に推薦いたします。東北大会出場おめでとうございます!福島県代表として頑張ってきてください。(東北大会の上演日程についてはまた後日ご紹介します。)

 残念ながらすべての舞台を見ることはできませんでしたが、評価のポイントは、世の中の問題や自分たちの問題に対して高校生がどう向き合っているのか、ということをきちんと表現できていたか、または考えているのかということだったと解釈しました。

 事務局という立場上、審査員の先生方といろいろなお話をさせていただく機会がありました。当然ながら3人とも県外の方です。7年が経過してもやはり「福島」を心配してくれています。福島はどうなっていくのでしょう?県内の人間であってもその答えは分かりません。7年が経過して復興とともに「風化」も進行しています。県外はもちろん、県内の人々でさえ記憶が薄れてきていることでしょう。いや、もう触れたくない、思い出したくないといった方がいいかもしれません。

 しかし、演劇という表現手段があって、福島とどう向き合っていくのかという問いがあれば、自ずとやるべきことが見えてくるのかもしれません。お話の中で「福島は十字架を背負ってしまった。」という言葉が出てきました。県外の方、特に表現活動をなさっている方にとっては「福島」はそのように感じていらっしゃるのでしょう。演劇のテーマとして震災や原発を取り上げることは、まさに使命のようなものなのかもしれません。しかし、当の高校生たちはどうでしょう?当時小学4年生や5年生だった子供が高校生になって演劇を始めて、震災や原発について考えることをどう思っているのでしょうか。ここに、福島県の高校演劇の抱えるジレンマがあるのです。

 ところで、広島県では原爆に関係した舞台作品が毎年のように上演されます。戦後70年が経っても、高校生たちは自分たちの問題として取り上げています。もちろん、その内容については取り上げるかどうするか、かなり時間をかけて議論するそうです。自分たちで広島について学習を行い、被爆者の方に取材をして、みんなで話し合い、そして最終的に「やる」という結論を出し、作品を作り稽古をして上演していくとのことです。

 福島の高校生たちは、震災や原発について表立ったテーマはもちろん、内在されたものであっても舞台として作品を作ることにやや嫌悪感を持っています。それは「触れたくない、思い出したくない」というものと、地域的な問題もあり、「大した被害を受けていない自分たちが福島を語ることはできない」というものもあるようです。それこそ高校生たち自身が自分たちで「風化」させているのです。福島の県大会において、審査員の方々は福島の高校生たちにある意味「期待」をする一方、当の高校生たちは「もういいよ」という気持ちを持っているのも事実です。

 確かに県外であれ県内であれ、あの震災と事故は決して忘れてしまってはいけないことです。絶対に人々の心から風化させてはいけないものだと思います。だからこそ、高校生となったときに、もう一度あの震災と事故について考えることは必要だし、重要なことではないでしょうか。福島県に生まれた身として、福島とどう生きるかは永遠の課題です。震災や事故はなかったことになりません。そして見て見ぬふりすることもできないのです。もちろん演劇とは楽しいものです。やっていても見ていても楽しいものでなければなりません。でもその中で、自分たちの置かれている状況について、ほんのちょっとでも考えていくことが大切だと思います。大人(顧問)として、そんなことを伝えていくのも私たちの使命なのかなとも感じました。

 ある上演校は戦争をテーマにした既成作品を上演しましたが、講評の中で審査員の一人は「戦争は、今の高校生であっても当事者なんだよ」と言いました。なるほど。当事者意識って非常に難しいものです。たとえどんな物事でも自分は当事者であるんだなと、改めて思いました。

 本当にいろいろなことを考えさせられた3日間でした。

 最後に、この県大会を運営してくださった県南地区のみなさま、本当にお世話になりました。ありがとうございました。そして、ご来場いただいた多くのみなさまもありがとうございました。高校生の熱い思いを感じることができましたでしょうか。